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創業1949年山形で頑張るバドミントン・テニスのラケットショップ“ジャワスポーツ”社長ブログ/(株)ジャワ商会代表取締役小関和夫/1932年山形県鶴岡市生まれ


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テニスとバドミントン

父の始めの居住地スマランのスポーツ界はテニスが盛んで、昭和6年に日本人会庭球クラブが日本からデビスカップ選手の原田、布井の両選手を招待し、ジャワの一流選手との交流試合をしたが、見事なプレイで日本選手が勝利した。特に布井選手の鮮やかなバックストロークは外人にも大評判でした。             その時父も相手をしてもらったものの、1ゲームもとることができませんでした。

その後移ったスラバヤは人口約50万の商業中心地で、在留邦人1000人が住んでいた繁華な都会でした。そこの日本人会には、りっぱな集会所と小学校、7面のテニスコートがあり、テニスファンの父は毎日のようにテニスに出かけましたが、花の顧客には外人が多かったので、極力テニスを通して親善外交に努めたものです。

父のテニスの腕前は、スマランではA級で大会でも2度優勝したことがありましたが、スラバヤではB級でA級に上がるのに大変苦労したものです。

スラバヤでは、バドミントンも昭和10年頃から一般に普及し、父も熱心にやりました。
その後レベルが向上し、ジャワでの人気スポーツとなり、バドミントンはジャワの国技であるといわれるようになったのです。

ラケットを持って街を歩いていると羨望の目で見られたものです。

このバドミントンとの出会いが、敗戦で日本に帰国後に父の人生の再出発に関わることになろうとは、当時はもちろん夢にも思っていませんでした。


ジャワは常夏の国ですから、日中は大変暑いので、昼休みの時間を2~3時間とり、夕刻から開店するするしきたりになっていたとのこと。

雨もスコールと言って短時間強く降り一日中降ることはなかったので、父は長い昼休み時間を利用してほとんど毎日テニスとバドミントンに熱中したそうです。
おかげで病気知らずで過ごせたとスポーツの効用を説いていたものです。





テニスとバドミントン_d0197301_16234935.jpg

テニスの大会で優勝した時の父。当時のラケットとテニスの服装をごらんください。


テニスとバドミントン_d0197301_16263385.jpg

友人の送別のためのバドミントンの試合。前列右端が母です。
by javasports | 2011-03-08 16:25 | ジャワスポーツの歴史